こんにちは!SIFの代表、Akiです。
うちのインターン生やアカデミー生に、「今後、どんな力を伸ばしたい?」と聞くと、
・ロジカルシンキング:(頭良くなりたい!きれっきれになりたい!)
・プライオリティセッティング(仕事を速く終えられるようになりたい!)
・プロジェクトマネジメント(企画力や実行力をつけたい!)
といったポイントが良く出てきます。
社会人基礎力でもあり、もちろん大切な能力かもしれません。
でも、本当に人生にそれが必要なのでしょうか?これらの力がつくと幸せに生きられるのでしょうか?
今日はあえて、ひっくり返してみましょう。
この記事では、学生時代から「意識高い系国際NPO」で副代表を務め、外資系サラリーマンとして、生き急いできたSIFの代表Akiが、フィジーで発見した「ゆっくり生きる」ということについて考察してみます。
「優秀な学生」「優秀な社員」に隠された真実
優秀になりたい学生、優秀になりたい社員
中学生のころ、私は人前では「がり勉」に見えないように、部活だけ頑張っているように見せたり、冗談ばかり言うようにしたりしていました。
でも夜は塾に行き、一生懸命勉強し、進学校に合格できました。本当にうれしかったし、「優秀な人たち」の仲間入りができたことを心から誇りに思いました。
高校時代は部活と行事に明け暮れたため、高校3年生の夏の偏差値は30台!!でもまた一生懸命勉強して、浪人までして、国立大学に合格できました。今後も「優秀な人たち」の仲間でいられることに安心しました。
大学時代は国際系NPO、就活は外資系に入り、グローバルな「優秀な人たち」の中で切磋琢磨する機会を得ました。
30歳を機に、フィジーに関わる仕事に転職し、「ゆっくり生きる世界」に出会いました。
優秀なのに、「楽しそうではない人たち」
「優秀な人たち」とは、単に勉強や仕事ができる人のことを指すのではなく、人間性も豊かで、話していても、面白かったり学びがあったりする人、を指します。
私は、勉強はどちらかというと苦手で、気合と体力で不器用にやってきたタイプだし、人間性もひん曲がっているので、どうにか笑いを取って生き延びてきたタイプ。正直「優秀な人たち」には劣等感を感じたり、生まれ育ちが違うんだ、とあきらめたりしているタイプでした。
でも、30台も半ばになった今、そんな「優秀だった人たち」も、「今も楽しそうな人たち」と「そうではない人たち」に分かれていってしまうのを目の当たりにしています。
何がその分かれ目なのでしょうか?
優秀さに隠された真実
ずばり、結論を言うと、勉強も仕事もできて、人柄もよい、絵に書いたような「優秀な人」というのは、実は不器用で、人生迷いやすいのではないか、ということです。
優秀であること以上に、自分のやりたいことを自分で選び、ゆっくり時間をかけられるか、が幸せの分岐点だと思っています。
そんなこと言うとめちゃくちゃネガティブに聞こえるので、どうか最後まで読んでください。(笑)
もう少し具体的に言うと、例えば冒頭であげた、
・ロジカルシンキングが高速でできて
・プライオリティセッティングを確実にできて
・プロジェクトマネジメントを安定してできる
という力がついても、実はそれは「労働者として優秀」、ということであって、言い換えると「他人の人生を生きているだけかもしれない」ということなのです。
幸せの根っこにあるもの
優秀とは、速さである
ほとんどの場合、勉強や労働における優秀さというのは、ほぼ「時間」で測ることができます。
【勉強】他の人が3年かけてする勉強を、1年でできる人は優秀です。(速い=優秀)
【労働】他の人が3日かかる仕事を1日で終えられる人は優秀です。(速い=優秀)
【資産】他の人が3年かけて稼ぐお金を1年で稼ぐ人は優秀です。(速い=優秀)
特に疑問はないですよね。私たちは、速くできる自分を夢見て、速くできた自分に達成感を感じることが多いように思います。資産運用の例もあげてみましたが、「秒速で稼ぐ!」とかできる人が優秀そうな気がしますよね。
一方で、同じ成果を、ゆっくり出した場合は、どうでしょうか?
【勉強】他の人が3年かけてする勉強を、10年でできた人は悪い?
【労働】他の人が3日かかる仕事を10日で終えた人は悪い?
【資産】他の人が3年かけて稼ぐお金を10年で稼ぐ人は悪い?
速さ=優秀、で生きてきた私たちとしては、ゆっくり=悪い!と言いたくなりますが、よくよく考えてみると、実はそんなことなさそうなことに気づきだします。
【勉強】同じ勉強に10年かけた人は、1年勉強した人より、広く深く学んでいそう。
【労働】同じ仕事に10日かけた人は、1日で終えた人より、周囲の人と笑顔で仕事を楽しんでいそう。
【資産】同じ稼ぎを10年かけた人は、1年で稼いだ人より、安定していそう。
なんとなく、わかりますよね。
あれ?
ではなぜ、速さ=優秀さが成り立っていたのでしょう?
なぜ、私たちは生き急いでいたのでしょう?
速さは資本主義の根幹
それは、速さこそ、資本主義の根幹だから、と言っても過言ではないでしょう。
資本主義というと難しい響きに聞こえますが、例えば、
【勉強】塾の月謝は決まっているから、学生が速くたくさん学んでくれると、塾は儲かる。
【労働】従業員の月給は決まっているから、従業員が速くたくさん働いてくれると、会社は儲かる。
【資産】投資元本が同じなら、速く稼げる方が、資本家は儲かる。
つまり、「時間をお金に変えている」。こういう世界では、速さというものにはとても価値があるのです。
優秀なのに、幸せを実感できないのはなぜなのか?
つまり、速く生きることで優秀だと感じてきた人の場合、多くが「自分ではない何か」に自分の価値を決められてしまっているかもしれないのです。
同時に、速さを生み出すために、
・ロジカルシンキングで、無駄を切り捨てることで、最短の道を見出し、
・プライオリティセッティングで、優先順位の低いことを削り捨てることで、大事なものにフォーカスし
・プロジェクトマネジメントで、日々のトラブルを解消することで、ゴールを達成する
つまりは、「無駄」「低い優先順位」「トラブル」とくくって、たくさんのことを捨象、切り捨てることで、速さは生み出されます。
人に与えられたお題を達成するために、目的以外のものを切り捨てている。。。?それが速さ?それが優秀さ?
何か幸せじゃない理由が分かってきた気がしますよね。
こんな時代にこそ、ゆっくり生きる
ようやく本題です。
ここで、皆さんにご紹介したいのが、ゆっくり生きる、ということです。
ゆっくり生きる、と言われても、まず何からをしたらよいかわからないですよね。そもそもゆっくり生きたら後悔しそうな気もします。
ゆっくり生きるとは、優しく生きること
哲学、宗教、ヨガ、読書、、、ゆっくり生きるためには、いろんな方法が提唱されている時代です。
でも、端的に言うと、ゆっくり生きる、とは、速く生きたときに、切り捨ててしまったもの、にゆっくり向き合うこと、つまり「無駄」や「優先順位の低いこと」、「トラブル」とくくっていたことを大切にすることから始まります。
例えば、人と話すとき、ゆっくり会話をしてみましょう。
速い会話というのは、目的やゴールに向かって、最短距離で話を進めていくことです。例を挙げてみましょう。
Aさん:「旅行行きたいなー。今の季節だとどこがいいかな?」
Bさん:「山がいいの?それとも海?何泊にする?いつ頃休みが取れるの?予算は??」
Aさん:「え・・・」
よくありますよね。。。そんなつもりで言ったんじゃないのに、と思うAさん。
でもBさんはBさんなりに、Aさんの問いに対する回答を最短で探そうとしているんですよね。悪気はないどころかむしろAさんのためを思って聞いていたつもりでした。
ではゆっくりな会話とは?
Aさん:「旅行行きたいなー。今の季節だとどこがいいかな?」
Cさん:「旅行いいよねー。今の季節だとどこかなー?アクティブなのもいいけど、ゆっくりするのもいいよねー。ところでどうしたの急に?」
Aさん:「そうそう、実は仕事で悩み事があってね。。。」
Cさんは会話を進めていませんよね。Bさんには「こんなの雑談だ」と言われる会話でしょう。
でもCさんの会話は「共感」です。結果、Aさんが本当に話したかった、仕事の悩み、を引き出しています。
フィジー人との会話はゆっくりで、進まないことが多いです。でも、どこか優しく、包まれたような感覚になることが多いです。それは、この「共感」を感じさせてくれるから、かもしれません。
ゆっくり生きること、それは優しく生きることです。
ゆっくり生きるとは、強く生きること
ゆっくり生きることは、強く生きること、とも言えます。
それは、目的やゴール達成するときに、必要最小限「以外」の、たくさんの無駄やトラブルも、経験し、身に付けているからです。
よく挫折したことがある人間は強い、ということがありますが、それは、その後さらに大きい困難に出くわしても、その「無駄」である経験が支えになってくれるということに他なりません。無駄のおかげて、しなやかに強く生きられるのです。
先にあげた旅行の例ですら成り立ちます。
明確な判断基準で最短の時間で旅行を立てても、荒天だったとき、Bさんは何ができるでしょうか?
一方実は雑談に見えた、仕事の悩みや、それを通じて見えてきたAさんの旅行への想いが分かっていると、荒天だろうと、電車の遅延だろうと、柔軟に旅行のプランを変えられます。
旅行も人生も、予定通りいかないことだらけという点は似ています。そんなときにすぐにあきらめたり、嘆くのではなく、柔軟に力強く対応していくことができる。これもゆっくりがもたらす強さでしょう。
ゆっくり生きる、を実践してみる。
では、具体的には何をしたらよいのでしょうか?
ここではバチバチに生産性や時間管理をしていた外資系サラリーマンだったAkiが、フィジーでの経験を通じて見えた、有益なアクションを紹介します。
1時間の予定を、2時間にしてみる
学生でも社会人でも、予定がびちびちの皆さんにおすすめなのがこれ。
朝から晩まで1時間刻みで、打ち合わなり、作業なり、たくさん予定が入っている人。実は1時間で終わってなかったり、準備不足だったり、不完全燃焼の積み重ねになっていませんか?
まずは、そのうち1つでよいので、倍の時間をかけてやってみましょう。1週間に1つからでもよいです。1つの打ち合わせでも、1つの作業でも、あえて倍の時間を使って、ゆっくりやってみましょう。
そうすると、考える余裕や会話をする余裕が出て、「無駄」がたくさん出てきます。その無駄こそ発想やクリエイティビティ、モチベーションの源泉になったりします。
ちなみに、知り合いにフィジー人の予定は1日に1つ。多くても午前に一つ、午後に一つ。カレンダーを空かすかにすることで、目の前の時間に集中して、無駄も全力で楽しめているのだと思います。
倍速で再生していた動画や、速読していた本を、ゆっくりやってみる
最近は様々な動画が倍速で楽しめるようになりました。
でも倍速で聞いた動画や音声教材の中身、覚えてますか?自分の意見は持てましたか?
効率的に、たくさん情報を処理できるようになったこの時代ですが、その速さ、優秀さは錯覚かもしれません。
過去に聞いたことのある動画でも構いません。もう一度、1.0倍速(通常の速度)で聞いてみてください。速読しようとして読み流した本を、ゆっくり読んでみてください。
ゆっくり聞くと、聞きながらたくさん考え事や感想などの「無駄」が出てきます。それ自体があなた自身の脳みそがうごいているということ、自分の知識になっていくことに他なりません。
ゆっくり移動してみる、食べてみる
勉強や仕事以外も、徐々にゆっくりしていきましょう。
代表的なのが、移動と食事。最速で最短で目標達成しようとしていませんか?
例えば、目的地まで、遠回りしてみましょう。電車ではなく一駅歩いてみましょう。目的地のまでの検索、これすらやめて、自分で考えてみましょう。同じ学校や職場との往復が、別世界になります。
食事も一緒です。効率化を目指した食事は、同じものを繰り返し食べたり、安い分かりやすいものに偏りがちです。納豆が体に良い!と聞くと納豆ばかり・・・なんていうこともあります。まずはゆっくり買い物してみましょう。そして、ゆっくり料理してみましょう。最後に、ゆっくり食べてみましょう。
あれ?自分がどう移動していて、何を食べていたか自体、気づいていなかった?それは幸せもくそもありませんね。
【まとめ】自分の時間を取り戻す。それが「ゆっくり生きること」
自分なりの、「ゆっくり生きる」を選んでみよう!
上記に例を挙げてみましたが、忙しい私たちが、何でもかんでもゆっくり生きる、ということは容易ではありません。
まず、ゆっくり生きる時間を、ゆっくり選びましょう。週に一つでいいから、自分がゆっくりさせるものを決めましょう。それが自分を取り戻す入り口になります。
例えば二児の父の私。
同じ「家族との時間」でも、家事を高速化し、子どもと遊ぶ時間をゆっくりしよう、と思っていました。でもその結果、家事の時間に子どもに話しかけられると、むっとしたり、あとで!と怒ったりしていました。
そこで思い切って、「家事を倍の時間でゆっくりやろう」と決めました。
すると、家事自体を子どもと遊びながら楽しむことができるようになり、気持ちもおだやか、家庭も円満。おまけに家事+遊びのトータルの時間は短くなり、実は「速く」することにもつながりました。
自分の軸、自分の価値観、自分の時間の使い方を取り戻す
さて、既にお気づきの方も多いかと思いますが、実はゆっくり生きること、は自分なりの時間の使い方をすること、でもあります。
他人に決められた価値観から、具体的に、少しずつ抜け出し、自分はこれに時間を使うんだ、と選択をして生きることです。
何かをゆっくりやる、ということは、その大切なことに、より時間をかけるということです。
そんな時間の使い方をしていたら、人生豊かになりそうですよね。
最後に、この記事の「時間」を「人生」に置き換えてみてください。実は目先の話ではなく、人生という大きな時間でも、同じことがいえるかもしれませんね。