人権問題が話題にのぼることが増えてきました。
ウイグル問題やカナダの先住民の人権問題は、日々のニュースでも毎日のように大きく取り上げられています。
つい最近もカナダの先住民寄宿学校跡で215人の遺体が発見され日本でも大きな話題となりました。
先日はこのようなTweetをさせていただきました。
CO2排出量に注目が集まっていますが、人権問題も対応が急がれる喫緊の課題です。
皆さんはあまり日本で取り上げられていない、世界の人権問題についてもっと知りたいですか?
今日はカナダの先住民の人権問題を知りながら、フィジーが抱える人権問題のについて分かりやすく解説します。
カナダが抱える先住民の人権問題とは
まずは最近大きく取り上げられた、カナダの先住民の人権問題について解説していきます。
カナダは「移民の国」と呼ばれ、裏を返せば先住民がマイノリティになっている側面もあります。
先住民たちがどのような経緯で、社会的マイノリティになっていったのか知っていきましょう。
カナダの人権問題をひも解く同化教育
カナダは先住民と入植者の間での人権問題を抱えている国です。
もともと先住民の人々が暮らしていたカナダですが、1500年代頃にイギリスとフランスが入植しました。
入植者たちが実施した具体的な施策で有名なのは、公民権賦与です。
これは簡単に言うと先住民の生活や伝統と引き換えに、資産という褒美を与えるという施策です。
そして19世紀から1970年代までの間、15万人の先住民の子供達が家族から引き離され、母国語や文化を封じられた生活を送りました。
これがキリスト教寄宿舎学校で行われていた同化教育です。
そしてこの同化教育こそが、今回ニュースにもなっている問題に発展していきます。
のちにキリスト教寄宿舎学校で行われていた子どもへの心理的、性的虐待が明らかになったのです。
今回発見された215人の遺体についても、カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスの先住民寄宿学校の跡地でのことです。
カナダの人権問題の根源にある土地譲渡問題
1867年、カナダ政府は不平等な土地譲渡条約によって、先住民族の土地を少額の補償金や狭い保留地と引き換えに奪いました。
この時に奪われた土地をめぐり、現在でも先住民たちは肩身の狭い思いをしながら、土地請求をしているのです。
例えば先祖代々住んできた土地の所有権を主張する土地要求や、インディアンの土地や財産管理について不手際があったという主張など内容は様々です。
このように、現在のカナダは先住民が暮らしていた土地を略奪した歴史の上に成り立っているのです。
そして土地を奪われた先住民たちは土地だけでなく、現在に至るまで非道な差別的扱いを受けたり、政治・経済・社会的にも弱い立場にあるのです。
フィジーが抱える人権問題の背景
フィジーには”フィジー系”と”インド系”の人びとがいます。
“フィジー系”はもともとフィジーに暮らしていた、いわゆる先住民です。
一方の”インド系”は、19世紀にフィジーの砂糖プランテーションで働くためにインドから連れてこられた人びとです。
“インド系”の人びとはその後フィジーにコミュニティを構築し、砂糖はフィジーの最大の輸出品となり、フィジーの経済に大きく貢献するようになりました。
今では”フィジー系”が国の人口の半分、”インド系”が約40%ですが、一時は”インド系”が隆盛し人口の半数以上になった時期もあります。
フィジーでは2006年を最後に4回の軍事クーデターが起きています。
この背景には、”フィジー系”と”インド系”の人々の間の民族の分裂、つまりは人権問題が要因の一つと考えられています。
フィジーの人権問題の根源とは
フィジーは英国領の歴史がある国です。
現在の人権問題をたどっていくと、フィジー人たちが入植者たちから必死で身を守ろうとしたある制度にたどり着きます。
ですが人権問題で弱者の立場になっているのは、先住民的存在である”フィジー系”ではありません。
少し複雑ですが、フィジーもフィジーの歴史もご存知ない方にも伝わるようご説明します。
入植者からフィジーの先住民の人権を守る策
フィジーの人権問題の根源を知るには、1880年に制定された「National Land Ordinance」から考えると分かりやすいです。
「National Land Ordinance」は簡単にいうと、”フィジー系”が圧倒的に優遇された土地制度です。
実に全国土の8割に対して、”フィジー系”の人々だけが所有が許されるという制度です。
「National Land Ordinance」は、入植者たちにどんどん買い進められていく土地を目の前にした、当時の英国領フィジーにおける初代総督が何とかフィジー人に土地を残したいと願い制定されたものです。
しかし、これがのちに”インド系”の人々を苦しめることになります。
“フィジー系”の人権確保がもう一つの人権問題に発展
つまりこの制度のもとでは、“インド系”の人々はどれほど働き、経済に貢献しても土地は”フィジー系”に貸し与えられ、自分のものにならないのです。
そして1967年には土地リース期間を10年とする法改正があり、さらに”フィジー系”優遇の構造になっていきました。
“インド系”の人々は”フィジー系”の人々から農地を借りて生活してきました。
しかし更なる問題は、1999年以降、借地権の多くが更新されていない、もしくは期限が切れ、”インド系”の人びとが仕事を奪われ土地を手放さざるを得ない状況になったことです。
人権問題に苦しんだ”インド系”の人びとの選択
1970年にフィジーは独立を果たすと、1987年にはインド系政党が第一党になります。
しかし”フィジー系”の人々は、”インド系”の人々がさらに権力をつけることを恐れクーデターを起こしました。
このクーデターでは、多くの”インド系”の人々が暴行されたり財産を奪われ、”インド系”と”フィジー系”の人びとの間の溝はますます深くなっていきました。
フィジーの人口構成が”フィジー系”が多くなっているのも、”インド系”の人々には土地制度への不満、クーデターでの辛い経験から国外に移住していくという背景があるようです。
人権問題から見るカナダの先住民とフィジーの先住民”フィジー系”
カナダの先住民は強制的に土地を奪われてしまった結果、現在でも社会的に弱い立場にあります。
一方でフィジーの先住民たちは入植者たちから自分の土地を守り抜き、結果として現在も最も構成比の高い民族となりました。
ではフィジーが人権問題を抱えていないかと言えば、そうではありません。
“インド系”の人びととの間に軋轢が発生し、やはり暗い歴史を持っているわけです。
どちらが正しい、誰かが悪いということではありません。
しかし、共通しているのは過去の土地の分け方が現在の人権問題をより複雑に、そして長期化させているという点です。
カナダは世界に先駆けて多文化主義を取り入れた「移民の国」、一方フィジーは「世界一幸せな国」と言われています。
しかし今回見てきたように、今の姿は過去の争いや犠牲、苦悩の上に成り立っているという視点を忘れてはならないと思います。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
今回は普段の幸せオーラ全開のフィジーを取り上げるのではなく、影の部分が強調された内容になりました。
しかしやはり私たちが目指す世界には、人権問題が置き去りにされてはいけません。
SDGsの第8節にも「我々は、人権、人の尊厳、法の支配、正義、平等及び差別のないことに対して普遍的な尊重がなされる世界を思い描く」とある通り、人権についてはその重要性が示されています。
SDGsが急速に広がりを見せていますが、今後はますます人権問題が議論の焦点になることが増えてきます。
今回はカナダとフィジーについてでしたが、他国の実情もしっかり把握することが第一歩だと思います。
そして今回、いろいろ調べるうちにもう一つフィジーの重大な秘密に気付いてしまいました。
それは今度また記事にしたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
参考:
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-57291530
https://www.econ.osaka-cu.ac.jp/CREI/discussion/2007/CREI_DP012.pdf