SIFのメンバーに向けて
For Members
Akiさんってホントはどんな人?
実は日々の出来事にめちゃめちゃ動じるタイプで、Academy 1期生から6期生まで毎回結構日々ドキドキしていました。
フィードバックするときも、とても大きい存在で頼れる存在でいようとしてるので、 ゆっくり喋ったり低い声で喋ったりは意識してるぐらいドキドキしたり緊張したりしています。
4期生のVillage stayの後に、 参加者から「これ何のためにあったんですか」と言われたときも、泣きそうなぐらいドキドキしました。参加者の1人のプロジェクトが想像以上に前途多難だった時「やばいやばいやばい、全然着地が見えない」と思いましたし、高校生の参加者から「やっぱり高校生は無理なんですかね」と言われたときも、自分の中で緊張が走りましたね。
毎回動じています。大体全部動じています。
元々SIFにいたメンバーや現地インターン生たちは、自分の目から見ると、目の前の動揺に強いんです。
私の根っこはおそらく2つでできていて、「楽しいことや表向きのことは後悔したくない」「 やりたくないことは怒られたくない」。この2つから全てが始まっているのが極めて本音なのではないかと思っています。ネガティブなモチベーションですが、ひも解いていくと、もっとポジティブになる段階があり、そのポジティブフェーズのところから人前では喋るような面があります。
なので、「大学生であることや、大学生活を後悔しないように」であったり「そんなこと考えなくていいんだよ」などと言いますが、それは自分の根っこから来ているものです。
小さいときから自分はそうなのかもしれないですね。
小学校のときからのことを、もうすごく覚えているのですが、 人前だとおちゃらけて声がでかくてはしゃぐガキ大将みたいな感じなのに、学校から家まで片道2.2km・30分の帰り道で、1日の学校での出来事を後悔していました。「あんなことをしてしまった」「こんなことして、なんで自分はダメなんだろう。 明日こそきっとちゃんとする。」というようなことをずっと考えて、でももう次の日は忘れていて、また同じ失敗をするというのを6年間やっていたんです。
「そのありたい自分」と「そうなれない自分」の葛藤が、その頃からずっとあったんですよね。
「なんかそうじゃない自分。こうもありたいけどあれない自分」を社会人になるまでずっと引きずりました。
大学生の頃は、心に優しい本をたくさん読んでいました。頑張りすぎた自分に優しい本です。それでは何も改善しなかったのですが、 社会人になってから「ちゃんと解決する方法があるんだな」というのがわかりました。
だからインターン生に言う「1週間終わったときにできなかったタスクがあったら、それはできなかった自分を責めるんじゃなくて、できないその自分に対して変な計画を立てちゃった計画の方を攻めて、翌週はその計画をちゃんと今の自分に合わせましょう」というのは、小学校の頃からのネガティブな自分を解放した思想というか考え方だったりするんです。
自分の悩みに対して、「こういう考え方あるんだ」というようなことを長くやってきているから、悩みを持ってる人に対して「それはこうかもね」というアドバイスは、経験を持って言えるかもしれないですね。
以前は人と自分を比べてしまうタイプで、人と比べてへこんでる人を見ると「お前まだまだへこみ方足りねえよ」とさえ思ってしまっていたので、多分本当に劣等感に対する”強み”があるんだと思います。
劣等感を抱く力は、多分誰よりも長けていて、人材関連の勉強をする過程で「これは人の強みを見つける力なんだ」と言い聞かせて、 37歳まで頑張ってるんですね。
「なりたい自分とこうやっちゃってる自分」の間のギャップや劣等感も、それが解消されるような 考え方を学んで、次第にポジティブの方に言い換える考え方に転換できるようになったんです。
成長自体を目的としない
劣等感の処理が終わったのがおそらく30歳ぐらい、そこから「自分ベクトルで成長したい」という方向になりました。劣等感がどうというのに何の意味もないよね、ということです。
普通の人だったら、中学生・高校生くらいでアイデンティティを確立して、大学生で少し世界が広がって、就活がうまくいけば自分の過去を肯定できて、就活失敗すると「今までは何だったんだろう」と思いながら社会人になっていく。そして20代で自分と社会を調整していって、30歳では落ち着いてるような感じではないでしょうか。
My Little Loverというアーティストの、ある曲の歌詞の1つに「自分の限界を知るために僕は生きてるわけじゃない」というものがあり、ずっと頭の中に残っていました。
成長の目的が、今までは「自分のため」「自分が今後評価されるため」「受験」「昇進・昇格」でした。これをずらす必要があると思ったんです。
“かっこいい大人”たちって、何が自分と違うんだろうというのを考えました。自分の延長線上にかっこいい大人にたどり着くイメージがなかったんです。
では、“かっこいい大人”とは何か。
”かっこいい大人”というのは成長が目的ではない、成長を楽しんでるというか、成長を手段にしているような印象がありました。
成長のさらに1個上の目標・目的があって、それが、社会・他者・社会課題・地球など、自分の外にある困っている人や自分が力になりたい人などを設定し、 そのために、自分に欠けてるものを改善していくというかたちです。そうすると、何歳になっても勉強しなければいけないですし、何歳になっても持っている知識で勝負するのではなく、状況が変わったり必要となれば、「また新しく勉強しよう」といいう気持ちになりやすいのではないでしょうか。
劣等感も少し外れると思いました。なぜ劣等感を感じるかというと、インプットに対してのレスポンスがないからです。だから成長自体が目的化してしまう。
成長が目的ではなく、自分の外、他者や社会・地球のためにというところに目的を置いて、そのために自己変革していく。それが”かっこいい大人”だと思っています。
それで、自分の成長や、成長の仕方を学んだ後に、日本や世界・社会を変えたい。やりたいことのための手段として、教育やAcademyをやろうと思いました。
SIFのマネジメント
新卒で入った外資系企業で上司から言われたことで、印象に残っている言葉があります。
「キャップって、日本語で帽子みたいなイメージなの。限界キャパシティにはキャップがあって、私はそのキャップを外すことがマネージャーの仕事だと思っているんだよね。君は超面白いから、 キャップをポンって外したら、ポーンってなると思うのよ。勝手に自分でキャップ被ってるでしょ。」
感動しました。「すげえいいこと言うじゃん。」と。
後にそれが 会社のマネージャートレーニングをそのまま受け売りだったってことを知るのですが(笑)。
マネージャーの仕事というのはシンプル2つだけで、「部下の能力を最大限に発揮すること」「部下の成長再構成にすること」だけです。そのためなら、会社の目標を無視しても良いんです。のびのび育てるっていうのもそうですが、それだけでなく基本的な力の部分に時間を使います。
先輩のお世話になりながら身につけた方がいいんだろうなという考えもあり、 基礎体力の部分は大事にしたいと思っています。一方で、自分らしく意見が持てるようになったら、その意見を尊重します。
SIFの「監督」として
「成長しましょう」というようなことは言っているのですが、「成長しなくたってそもそもみんな色々できる」。そういう思いもあって、「みんなどんどんいけいけ」とは言うのですが、もちろん成長したい人たちを成長させたいですし、私のモチベーションは「人の気付き」や「成長に携わること」です。ただ、前提として、「いまの段階で、みんな行けるよね。日本で本気を出していなかったり、本気を出せないだけで、みんなフィジーで町に出たら意外といけるよね」という思いは持っています。
よく野球などで「スーパースターとスーパー監督はイコールではない」「 スーパープレイヤーが監督になっても意外とうまくいかない」というのはよく言われます。逆に、名監督が現役のときあまり有名ではなかったというのは、よくあることです。
そういう意味では、僕がアカデミー生になったときにどれくらいできるのかわからないのですが、監督としてみんなの背中を蹴り続けられる存在でありたいと思っています。そこは最初の1期生から6期生まで参加者のみんなに恵まれて、蹴ったら蹴った分だけ行けたというのはありますね。
SIF Academy の理想像
「アカデミーがこうなったらいいな」というのはあまりないんです。
アカデミーは手段だと思っていて、 日本こうなったらいいな、フィジーこうなったらいいな、参加者のこの子こうなったらいいなとは、勝手に思っています。
なので、「アカデミーの理想像」も、もしかしたらないのかもしれないので、ずっと壊したいと思っています。アカデミーは完成しないところが良いといいますか、破壊と創造のようなかたちです。
私自身の中にAcademyの理想像はなく、 参加者が変わればアカデミーも変わるだろうというような思いがありますね。
(……今期のAcademyにつづく!)